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8月15日は終戦記念日でしたね。太平洋戦争が終わって64年が経ちました。
戦争体験者も高齢になり、当時の様子を語り継ぐ人がどんどん減って、戦争の記憶が風化しつつあると、折に触れて嘆かれるようになりました。

私は昭和40年生まれなので、ちょうど戦後20年目に生まれたことになります。
物心ついた頃は高度経済成長期で、もう敗戦の気配はどこにも残っていませんでしたが、戦争の記憶はまだ生々しく残っていた時代であり、たとえば夏休みの宿題や自由研究の課題などでは、必ず戦争に関するテーマが出されていたという思い出があります。

そこでは、原爆や空襲、あるいは出征で家族を失った人たちの悲しみに触れることが出来て、戦争は本当にいけないことなんだという観念が本能的なレベルで培われたような気がします。

中高生になった頃でしょうか、今度は被害者としての立場だけではなく、加害者としての戦争体験というものも見聞きするようになりました。
従軍慰安婦や強制連行、731部隊などが行った残虐行為、あるいはナチスによるユダヤ人迫害の仔細などを知るにつれて、戦争というよりも人間そのものの残酷さ、醜さを見せつけられる思いでした。

しかし、その頃になると、戦争は悪だから絶対に反対、という単純な思考だけでは平和が訪れるわけではないということにもだんだんと気がつき始めます。

だからといって、戦争を「必要悪」として擁護する考え方には与したくないのですが、平和というものが一筋縄ではいかないということも、残念ながら認めざるを得ないのも事実です。

出版業界で仕事をしていた関係から、反体制的な活動に携わった経験もあるのですが、政治的、思想的な立場としてはあくまでも「ノンポリ」を標榜し、世界平和よりは半径1メートルくらいの平穏を大切にして生きていきました。

そして、その姿勢は基本的に今でも変わりません。
ただ違っているのは、ヒーリングという技法を身につけ、リチュアルという祈りのエネルギーを扱うことにより、私というミクロコスモスの平和を、他者と世界全体に広めるという明確な意図を持つことができるようになった点です。

けれども、この「私というミクロコスモスの平和」を保つこと、これが難しいのです。

私たちは(というか「私は」)思考の奴隷といってもいいくらい常にいろんなことを考え、しかもその大半が非本質的でネガティブな内容です。

それがスピリットの本質である愛や光の部分を隠しており、「ミクロコスモスの平和」を妨げているのですが、ヒーリングには、人のエネルギーをスピリットの本質に近づけるという効果があります。

これを実感したのは、両親へのヒーリングをするようになってからです。
両親へのヒーリング、これをすることで、ようやく自分の役割の一つを果たすことができたという気持ちになりました。

「ふくろうの便り」のなかで何度か書いていますが、私たちは大した理由もない割に確執の多い家族で、私はそのことをモチベーションに『親の愛はなぜ伝わらないのか!?』という本まで書きました。

ヒーリングをして、彼らのエネルギーに触れてみると、そのなかにある愛や光の部分が感じられてきます。
そして、それを覆い隠している悲しみや怒りの感情、それを生み出した心の傷というものが、少しずつ現れてきます。

あるとき、父にレインドロップをしていたら「自分がただ横になってるだけで人から何かをしてもらうのが申し訳ない」と言い出しました。
昭和ヒトケタ生まれの父は、あと少し戦争が長引いていれば招集令状が来ていたという世代です。
物心ついてから「国のために死ね」と言われて育ち、学徒動員で学業もそこそこに社会に放り出され、戦後は「家族のため会社のため国のため」と働き通しでした。

なのに、年老いた今になっても、そんなことを言ってる。
その言葉の裏に、この世代が共通して持っている「生きていること、幸せになることへの罪悪感」が見えてきました。

彼らは、自分の子どもたちに大きな愛を注ぎながらも、豊かで自由な時代に育つことの出来るわが子たちに対して強烈な嫉妬を感じずにはいられなかったのでしょう。

私が親たちから、あるいはこの世代の大人たちから感じた理不尽の正体は、戦争で傷つけられた子ども時代の記憶、インナーチャイルドの叫びだったのだとわかったとき、戦争とはなんと残酷なんだろうと改めて実感しました。

とはいえ、今でも、家族間のいざこざや、両親に異論を言われて、私がそれに反発したりということは日常的にあります。

けれども、私のなかにネガティブな反応が減ったことで、以前のように傷ついて心を閉ざすということがなくなりました。
こんな風に、ヒーリングは頑ななまますれ違っていた私たち家族の心を自然に緩やかに解かしてくれている。
本当に奇跡を見ているようです。

戦争の記憶が風化しつつあると言われますが、注意を向けてみれば、「戦争の傷」はそこかしこにある。
普通に生きている人の、ごく普通に生活している意識の下にある思考や感情のなかにいくらでも眠っていて、癒やされるのを待っているのかもしれません。


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