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一月もあと一週間で終わりですね。
それなのに、昨年の出来事で申し訳ないんですが、息子がシャンバラ・トライバル・イニシエーションを受けた話を書きたいと思います。

「シャンバラ・トライバル・イニシエーション」とは、私がヒーリングメソッドや形而上学を学んでいるモダンミステリースクールで開催されているイベント形式のセレモニーで、これを運営しているシャンバラ・トライバル・コミュニティのサイトでは次のように説明しています。

シャンバラ・トライバル・イニシエーションとは

古代の社会で、全ての部族で一般的に行われていたシャーマニックなセレモニー。
元来、人間は自然と宇宙と共存し、神や大いなるパワーと繋がって生きていました。
しかし、文明化と共に、自然や宇宙との共存は薄れ、人間は神聖なパワーとの繋がりを失ってしまいました。
自分の人生を自由に、楽しく生きることができるように
心の平和を取り戻し、魂の目的に繋がるように
太古よりシャーマン達に伝えられてきたイニシエーションがここに再び蘇ります。
(後略)



そして、このセレモニーに参加すると、アデプトと同じ効果があるのです。

息子は今、17歳。
まっすぐ育ってくれていると思っていますが、高校2年になった頃からか無気力なところが目立つようになりました。
そろそろ進路を考えなければならない時期なのですが、人生をこれからどう進んでいったらいいのか、その指針みたいなものがわからなくなっているようでした。

子どもというのは、今のことだけを考えてノビノビ育つことが仕事みたいなものですが、中学、高校と進むにつれてそうも言っていられなくなります。
勉強の成績が良いほうが良い将来が保障されるというようなイメージが子どものなかにもはびこり、さまざまな条件付けやレッテルが社会には付いて回るのだということを知ります。

ひと昔前は、皆と同じようにしていれば物質的にはそこそこ満足のいく生活が送れるというシステムが社会に機能していました。
普通に進学して、就職して、仕事して、家族を養って(あるいは家事や育児を引き受けて)・・・

そういうプロトタイプの人生に飽き足りなくなった人が増えたのと、企業の情勢が厳しくなって雇用者に「普通」以上の働きが求められるようになったのは、ほぼ同時くらいだったように思います。

そういう時代になってから久しいですが、私たちはまだ「普通」という基準に変わる新しい価値観を創り出してはいません。
なのに学校では、未だに「普通」という価値観のもと、子どもたちは教育されています。

息子がたまに語ってくれる心情を聞いてみると、学校と社会が抱えるそういう矛盾に気が付いていて、それに対して戸惑っているようにも思われました。

私自身は、アデプトを受けて「自分らしさ」という価値観に目覚めたので、息子にもたびたび勧めてみましたが、二日間も見知らぬ大人たちと一緒に、よくわからない話を聞くのは嫌だと断られました。


けれども、この「シャンバラ・トライバル・イニシエーション」なら半日ですので説得することができました。
そうして、昨年の12月19日に東京で行われていたセレモニーに参加したのです。

今、息子はとても変わりました。
といっても、別に「勉強するようになった」とか「家の手伝いをするようになった」とか、そういう目に見える形ではありません。

けれども、彼の発するものが比べようもないくらい明るくなりましたし、不機嫌なときでも前のようなトゲトゲした感じがなくなりました。

というのは、あるとき外食していたら、隣に座っていた20歳前後の男の子のグループで喧嘩が始まったのを目撃したんですが、その子たちが出していたものは(いわゆるオーラとかエネルギーという意味ですが)、うちの息子にもあったことを思い出しました。

喧嘩のきっかけは、一人の子をからかって遊んでいたのですが(いわゆる「イジる」というやつ)、その子が突然キレて反撃したのです。
すぐに店の人が連絡したらしく、警察が来たときは沈静化していたんですが、一触即発で乱闘が始まりそうでした。

ただの殴り合いで済めばいいけれど、もし刃物を持っていたら? 突き飛ばして頭の打ち所が悪かったら? と思うと、ニュースなどで伝わる事件は人ごとではありません。

今の青少年は「突然キレる」と言われてて、その理由は「学校教育のせいだ」とか「親が未熟だから」「バーチャルリアリティなゲームのせいだ」「地域社会が崩壊したからだ」はたまた「環境ホルモンのせいだ」などなど。

私もライターとしていろいろ取材したし、親として考えてもきたけれど、今ひと言でいえるとしたら ・・・
「光が足りないから」 だと思います。

人は若ければ若いほど、つまりいろいろな概念がなければないほど、目に見えないエネルギー(雰囲気とかムードと言ってもいいです)に影響を受け、反応します。

子どもが集団でいるのを観察していればわかりますが、「遊び」や「おふざけ」と「いじめ」の境界線は、大人が考えているよりずっと薄く、それを「良い/悪い」でジャッジするのは非常に無理があります。

子どもたちは、くるりと反転して盤面を白くしたり黒くするオセロゲームのように、いつも変化・変容して生きています。
変化のきっかけは、ものすごく些細であり、デリケートなもの。
いろんなことに無自覚な子どもの心のなかでは、「闇」と「光」は、簡単に入れ替わってしまうものなのでしょう。

店を出るとき、キレた方の男の子に、「大丈夫?」と声をかけたら、「大丈夫です!」と笑顔で答えてくれました。
この笑顔が彼が持っている本来の“光の部分”なのだと思います。

大事なのは「正しいか、間違っているか」ではなく、「光であるか、ないか」。
「光」は「愛」と言い換えてもいいのですが、私自身は、この気付きによってすごく救われました。

「光を増やす」ために、たとえば知らない人同士でも挨拶しあったり、困った人がいたら率先して手を差し伸べたり、そういう社会を作るように一人一人が努力をすることは大切だと思います。

けれども、人間の努力だけでなく、大いなる存在の力を借りて、人の心の暗がりを「光」に変容させていくことも、今の世界には求められているのではないでしょうか。

特定の宗教や神ではなく、自分の中にある“光の部分”を信じ、それを選び取って生きていくことで、心の闇に落ち込むのを避ける。

イニシエーションによってそのことが可能になるということを、私は自分自身の経験と息子の変化を目の当たりにしたことで自信を持ってお伝えできます。

アデプトプログラムに興味あるけど、なかなか時間や金銭面での折り合いがつかない方だけでなく、「目に見えるもの以外は信じられない」という人にも

「シャンバラ・トライバル・イニシエーション」を強くお勧めします。

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